ジッポーの逸話ジッポー(ZIPPO)ライター

いろいろなジッポー(ZIPPO)ライターをご紹介♪あなたのほしかったジッポーが見つかるかも♪

伝説

ジッポー社は、自社製ライターの強靭性などを説明するために、しばしば広告を作成した。これらのうちいくつかは都市伝説化しているが、次の逸話は、ジッポー社がライターの宣伝に実際に使ったもので、事実と考えられている。


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第二次世界大戦中、ベルギー戦線である兵士がドイツ軍に狙撃されたが、銃弾は胸ポケットに入れていたジッポーライターに当たり、兵士は一命をとりとめた。ライターはへこんだが、オイルを入れれば今でも火がつく。


第二次世界大戦中、アメリカ軍艦キャボットが、乗組員に目的地を告げずに航海を続けていた。若い兵士が、著名な従軍記者のアーニー・パイルに、艦の目的地を訪ねた。パイルは兵士のジッポーライターの底に何か文字を刻み、命令があるまで見てはいけないと命じた。命令に注意するようにという合図があったときに、兵士がライターの底を見ると、「TOKYO」という文字が刻まれていた。


ただし、第二次世界大戦中に製造された黒塗りのモデルが、反射を抑えて敵に見つかるのを防ぐためだ、という逸話は、事実と異なる俗説である。実際にはこれは錆止めであった。

アメリカ軍とジッポーライター

ジッポーライターの普及には、アメリカ軍が大きく関わっている。 第二次世界大戦中、「どこでも、どんな状況でも点火できる器具」が求められ、ジッポーが注目された。ジッポーは耐風性が高く頑丈で、かつ必要最小限の構成ゆえ部品も少なく、修理も容易だった。また戦場では、燃料としてガソリンが入手できたのである。


アメリカ軍は製造元であるZippo Manufacturing Companyに軍へのライター納入を依頼した。納入された正確な数は戦闘部隊数が知られてしまうため極秘とされており不明であるが、相当の数が納入されたようである。


当時は戦時体制下で、ジッポー本来の材質である真鍮は、弾丸の薬莢用に優先して回されていた。この資材不足対策として、軍用ライターのケースの材料には鉄を使い、その上に錆止めの塗装を施した。通称「Black Crackle」というモデルである。これには後に「戦場では、光る物は反射で自分の位置を知らせてしまうので、敢えて反射止めに黒く塗ったのだ」とするもっともらしい俗説が付いた。ただ関係者筋に拠れば「苦肉の策だった」ことが明かされている。


このライターは兵士達に大変好評で「GIの友」とまで呼ばれ、PX(基地内の売店)に入荷するや基地内の兵士の間では取り合いになったという。大戦中、アメリカ軍の名将として知られ、ノルマンディー上陸作戦を指揮したドワイト・D・アイゼンハワーも「私の持っているライターの中でどんな時でも火がつくのはこれだけだ」と賞賛した。


当時は市販品製造より軍納入分の生産を優先したため、ジッポー不足は著しかった。戦地に赴く恋人のために、ある女性一市民がラジオ放送を通じ、ジッポーを譲ってくれる人を募集したというエピソードもある。





戦地で実証された耐久性の評判は、アメリカ軍兵士を通じて一般国民や諸外国にも広まり、戦後に至って世界的なヒット商品となった。日本でも第二次世界大戦以降から朝鮮戦争の好景気に沸いた時代に日本国内の米軍兵士が持っていたものの一部が伝わっており、1980年代よりはビンテージ・ジッポーの人気も上昇、1990年代頃よりは盛んにジッポー関係のムック本もワールドフォトプレスなどから出版されている。


なお、ジッポーはアメリカ合衆国軍に正式採用されたことはない。軍に供給されたジッポーライターは、全量がアメリカ軍PXでの販売用である。アメリカ軍は、戦中、国外の基地内PXで、兵士の士気を維持するために、特にアメリカ的とされる製品を多く並べた。